OUT OF PLACE

なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし

gym

最近ジムに通いだしたのだけれど、

運動中に合う音楽、というのは絶対にあって、また運動に合わない音楽というのも絶対ある。

 

そして私のI pod の中身は、運動に合わない音楽が多いな、と気付いた。

 

例えば、stan getz とjoao gilbertの the best of bestのbossa nova 、Getz/ Gilbertoなんかは、大好きなのだが、聴いていると割と走る気力がなくなる。

走る感じではない。

 

 

Getz/Gilberto

Getz/Gilberto

 

 

 

はたまた、たまたま入っていた80's、Hall and Oatesは何を聴いても合う。

まさに走る為の音楽という感じ。

 

フロム・A・トゥ・ONE

フロム・A・トゥ・ONE

 

 

あと、飽たのでNHK-FMを聴くとクラッシックが流れていたが、

クラッシックも存外合う。 

 

今までランニング中に聴く前提で音楽を選んでいなかったのだが、

これからはランニングマシンで走る時に聴く音楽、

エアロバイクで漕ぐ時に聴く音楽、

など音楽を選ぶ楽しみが増えそうだ。

 

I phoneの低速制限が解除されれば、運動中 もっと楽しむ幅が増えるなー。

ってかジムって専用のWi-Fiあると思ったのに。

ジムに通い始めたの話をたまたま電話した母にすると、"山梨のジムなんて温泉つきだよ!"とよくわからない自慢をされた。(それ京都じゃなかなか難しいよ)

 

 

あとはヨガ教室もあるみたいなので、

定期的にヨガを学んで行きたい所存。

 

2018は有言実行でがんばります。

ノスタルジーを一蹴してやりたい

ノスタルジーとは鬱病の変種らしい。

わたしも湿っぽい過去回想なんて大っ嫌いなはずなのだが

よく思い出をなぞってしまう。

よく思い起こさせられてしまう。

やはりこれは何か麻薬的な快楽がある。

今を忘れさせ、今すべきことから逃げ、絶対に微動だにしない過去は、そりゃ気持ちがいいだろう。しかし一歩間違えれば自家中毒にしかなりえない。

そういう病的なノスタルジーは勘弁してもらいたい。

それは今の不満を、過去の栄光にあてはめて見えないようにしているだけなのでは。

それでは今に向き合わなきゃ意味がないじゃないか。

今に不満があるならば、それを変える努力をすればいい。

 

最近眠る時に「菊地成孔の夜電波」を流したまま眠りにつくと耳によく、

よく眠れることに気付いた。

ふと覚醒したときに、菊地が「ゴールデン街の歌謡曲好きは、本当に音楽が好きというよりも、思い出が好きなんだ、思い出に浸るのが好きなんだ、そういうのは湿っぽくて嫌い」と言っていてとても共感した。

 

回顧趣味も大いに結構だしアナクロのロマンティシズムも大いに結構だが

 

私はもともとミーハーだったはずで回顧趣味や懐古趣味なんてなかったのに

いつの間にかまだたった22の生涯の思い出をなぞっていることに気付いてぞっとする

過去も大いに結構だが、それよりすることがあるんじゃないか、

それに向き合えないのならば、そこにこそきっと何かあるんじゃないのか

 

ノスタルジーは人を酔わせる快楽がある一種の麻薬だ

そんな鬱病の変種に紛らわされることなく未来に向かって行きたい

 

たしかに過去のほうがよく見えることはあるだろう、

過去はうつかしかろ

だって変わらないし、6割型美化されるんだもん

今すべきことを着々とすること

変える必要があるなら努力すること

 

 

もう後ろを見たくないね

 

それは単なるナルシシズム

 


Oasis - Don't Look Back In Anger (Official Video)

 

正月休みを振り返る

すっごい嫌な感じの喉のイガイガとともに目を覚ました。

 

なんとなく疲れていた感じがしたので、早朝覚醒がないように睡眠導入剤,フルニトラゼパムを1mg服用して、23時ごろ寝たのだが、2:30に目が醒める。

そしてこの、喉のいがいがに非常に嫌な予感がする。

 

ゼミに二人もマスクをしている女の子たちがいたし、なんとなく頭がぼーっとするし、疲れているはずなのに、まだたった2時間も寝てないうちに目が醒めた。

 

だいたい一体このブログは誰に向けて書いているのか。

誰の為のブログなのか。

自分の為になっている気はせず、やはりまだ自意識が、他人のために、他人の承認を得たいという気持ちのやらしさと甘えを感じる。

承認欲求はまあ、当たり前の感情をいえば当たり前であろうが、それをそのままに剥き出しに出した時に人間は嫌悪感を感じるのでしょう。

 

 

 

眠れないのでつらつらとお正月休みについて書きます。

このお正月は結局何をしてたっけ、といろいろ振り返ると、

まず、死にそうなじいちゃんの顔を見てきたこと。

 

https://www.instagram.com/p/BdaKv2cgbzc/

御歳87になる祖父と迎えた2018年🎌🎍 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

昔は心配性で今にして思えば、確実に「強迫性障害」であった祖父だが、

今はほどよい痴呆症があいまって、ずいぶんと朗らかで愛嬌だけが残るいいご老人になった。

頑固になっていくひともいるなかで、人への愛情だけが、最後に残った、という感じがして、悪い人じゃなかったんだな〜と思う。

父、祖父の所業にどんなものがあろうと、あなたの父を許してやってください。

完璧な子育てなどきっと存在しないのです。

その時の祖父の善意が、あなたを傷つけたとしても、それは善意からであった、愛情からであった、ということを忘れないでね。

なんて言うまでもなく子育て経験者の父には身にしみているかもしれません。

 

そんであとは、本当は大晦日にアメ横とか行きたかったけど、

母と一緒に岩盤浴してワイン風呂と露天風呂はいって、だらだらずっと過ごしてた。

岩盤浴は気持ちがよかった。普段冷えている腰のあたりが、ゆっくりじんわりと温められていく。だけど一体の岩盤浴デートしているカップルたちはなんなのか。

今、はやっているの?カップルの多さに驚いた。

二人して、汗をかきながら、寝そべりながら手をつないだりして岩盤浴に勤しんでいた。ああいうデートもあるのか。

 

 

そんな感じでちょっと寂しい気分で迎えた元旦は、一通り義理を済ませて、

思春期まっただなかのいとこに会って

中学の悩みとか、数学や英語の相談とかに乗っていた。

 

 

2日は、東京に行く予定だったが父が頭が痛いというので、近場でドライヴしようということになり、本栖湖へ。

その後、旅猿12を見ると、本栖湖でスキューバダイビングしてた。

しかもここ、千円札の裏の富士山なのだってはじめて知った。

朝霧高原からみる富士山がやはり一番好きだけど、本栖湖からみる富士山もそれはそれは凛々しく、霊峰の権威を讃えていた。

 

https://www.instagram.com/p/BdcA1c3AT84/

ただいま#mtfuji #本栖湖 #lakemotosu #富士山 #yamanashi #山梨 #千円札の裏 #ダイヤモンド富士ではない #千円札の富士山

 

途中、青木ヶ原樹海を通るのだが、やはりあそこはいつも不気味で、少し気が弱いとつけ込まれるので、なんだか何か連れてきた氣がしてしばらく怖かったが、

まあ、神社にお参りしたし、今は特に変な兆候もないので、大丈夫かと思う。

ただただ、成仏していただきたい、という気持ちでいっぱいだ。

この世に未練を残し、地縛霊となって浮遊しているのはきついと思う。

どうか、あの世へおゆきください。おんころころせんだりまとうぎそわか。

 

そして3日は念願の東京。

母は風邪だというので悔しがっていたが計らずも父と二人っきりのデートに。

末広亭で落語が聞けなかったのが悔やまれるけど、

父の時計散策と、靴を見るのにほとんどつき合っていた。

私は結局1日で何も買わなかったし、食べ物も池袋の旭川ラーメン食べただけで、

せっかくの東京だけど、まあ父が金にうるさいのはよく知っているので仕方ないと思い、ゴールデン街や正月の歌舞伎町のホストクラブなどを紹介してもらい、

ここで麻薬の取引を昔はやってたのになあと呼ばれるところも見せてもらったけど、

今はすっかり歌舞伎町も一掃計画のようになされて、すっかり裏の街の影をなくそうとする都市計画にあきれた。

表向きいくらクリーンにしたって、ドープなものは消えないし、むしろ跋扈する。

歌舞伎町は歌舞伎町で生きる人々のためのものだ。

なぜあんなにクリーンにしてしまったのか、まったく行政が考えることはワケがわからない。

まあそんなこんなで、テレビでたまに見かける深夜営業の歌舞伎町の薬局みて興奮したり、有名なホストクラブを見せてもらって、こういう世界もあるんか〜と見物していた。

風俗街、というイメージが強かったが、最近はやはりホストクラブがとても増えているんだな、中村うさぎはこういうところに通ってたんだな〜とか考えたりした。

ホストにはまる女性の心理はわからないでもない。

水を扱う商売、水商売とはやはり、話を聞いてもらうことで精神を癒すという役割を担っており、そして幻想を売るという商いなわけで、

どんなに科学技術が進歩しようと、こういう商売は、人が人の話を聞く、人が人のケアをするという商売はなくならない気がした。

 

あと、帰り際、22時ごろの新宿東口のところで、

めっちゃくちゃ上手なバンドにあって、

スティービーワンダーなんかを演奏してくださり、

路上ライブにも関わらず、ドラムまでしっかり用意されていて、

サックスも、ベースも素晴らしくてしばらく足を止めてしまうほど聴き入ってしまった。

許可をとっていなかったのか、3曲目の演奏の途中で警察が入り、演奏はとまってしまったけど。

ふいに、ミュンヘンに短期滞在した際、金曜日の夜の路上演奏者たちの多いこと、そしてレベルの高いことを思い出した。

ヴァイオリンからピアノから、とっても美しくて、ずっと聴き入っていられるほどだった。

ヨーロッパは路上ライブ文化が強いけど、

日本は、しかも特に東京は、許可とか無許可とか知らんけどそんな無粋なことで

演奏とめたりしてまじで意味わかんねーとか思ったけど、

誰もブーイングもせず、立ち止まって聞いていた外国人もなんだかおもしろいものを見たと言う感じの苦笑を浮かべていて、わたしも思わず苦笑せざるをえなかった。

生憎車で来ていたので、父と新宿で飲む、なんて酔狂はできなかったけど、

ニューマンで菊池成孔のオープン・クローズドソング聞けたし、(ただのオタク)

ブルーボトル珈琲で珈琲飲めたし、まあ楽しかった。

それにしても新宿南口はバスタができてからこんなに変わったのか、と思った。

 

高校生のときに夏期講習で新宿西口に予備校があったので、大塚の東横インに1週間ほど連泊してたとき、南口の高島屋タイムズスクエアのあたりが好きで、あの辺りでぶらぶらしたり、ドーナツ食べたりしてたなあとか思い出した。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bdrko50g6iK/

なんか一度消してしまったけど、母が風邪をひいたために母抜きで、新宿で父とデートした思い出伊勢丹でジョンロブ観たりベストでSEIKO見たり池袋でラーメン食べたりディスクユニオンでジャズやソウルのcd漁ったり末廣亭や池袋演芸場行ったり楽しかった。今年は新春落語を逃したので来年こそは!!! 父は相変わらず時計をみ始めたら店員と話し込んでずっとでてこない癖はやめてほしい。

 

https://www.instagram.com/p/Bdfj0-gg1AE/

ゴールデン街、ほどよい場末感と寂寞感があってよかったな〜また飲みに行きたい #新宿ゴールデン街 #花園神社 #花園5番街 #新宿

 

https://www.instagram.com/p/BdfkkNdgKE6/

#新宿 #新宿三丁目 #newoman

 

 

父と母が京都まで車で送ってくれるというので、

京都に来てからは、

人生行きがかりじょうの著者でもあるバッキー井上さんのお店、百錬に行くことができ、なにもかもがおいしくて流れている歌謡曲も最高で、しかもカウンターの端っこでダンディに飲むバッキーさんがあまりにもかっこよくて、

父がすかさず、写真とってもらいな!と無粋なことを言うので恥ずかしくて私はずっと拒否ってたのだが、父がバッキーさんに声をかけてしまいとらない訳にはいかず写真をとっていただいた。

以前、先輩に昔よく連れていっていただいていたバーでたまにバッキーさんをお見かけしたことはあったのだが、あの頃は私もまだ何もよくわかっておらず、ああ、素敵なおじさまがいらっしゃるな、ぐらいにしか思っていなくて、久しぶりにお見かけしたバッキーさんは、とってもダンディーで素敵に見えた。

こちら側が、少しは成長できた、ということかなあなんて嬉しく成ったり。

写真をとってくださりありがとうございました。

飲み方から食べ方から、身のこなしすべてに教養が出てて、本当にほんとにかっこ良かったです。

いつまでもあこがれの方です。

 

https://www.instagram.com/p/BdnJ9kWgdIa/

"人生、行きがかりじょう"の著者であるバッキー井上さんのお店、百錬に初めて伺いました。なにを食べても最高においしく、流れてる昭和の名曲も最高で、南佳孝さんやYumingのサインまであって思わずひとりで大興奮。また、定期的に音楽を聴いて語る会をやられてるようです。(Simon and Garfunkel,Eric Clapton, Hall and Oates,Neil young,Joni Michelle, Billie Joel,南佳孝,山下達郎,吉田拓郎,松崎しげる,荒井由実など)京都でいちばん好きなお店になりました。バッキーさんは 先輩に連れて行っていただいてよく伺っていたTavern Simpsonで何度かお見かけしたことはあったけど、飲み方や立ち振る舞いや着こなしすべてがダンディでほんとにかっこよかった…#バッキー井上#百錬 #南佳孝 #京都 #裏寺町通 #人生行きがかりじょう #kyoto

 

 

人生、行きがかりじょう――全部ゆるしてゴキゲンに (22世紀を生きる)

人生、行きがかりじょう――全部ゆるしてゴキゲンに (22世紀を生きる)

 

 

次の日は、父が美術館を見たい、というので細見美術館に行った。

かねてからずっと気になっていたけど、細見美術館にいったのははじめてで、しかも伊藤若冲展の会期中であった。

若冲の絵は、見ているもののパワーを完全に吸い取ってしまうほどの圧倒的な迫力があって、力強さがすごかった。

見た後の疲労感も、展示の数がそれほど多いわけではないのに、あれほど疲れるなんて、やはり圧倒されて何かを吸い取られたに違いない。笑

 

でも、私は主観的には、若冲がどんなに世間で評価されようと、やはり河鍋暁斎のほうが好きだなあと思った。

 

https://www.instagram.com/p/BdmM_cqgKM_/

圧倒された… #伊藤若冲 #細見美術館

 

その後は、真言宗のお寺にでも...ということで、はじめて智積院さんに伺った。

そろそろ御朱印帳を手に入れたいなあと思う今日この頃。。。

智積院さんは、安土桃山時代の屏風、長谷川等伯の絵がすばらしく、桃山文化の栄華を感じさせられた。

 

https://www.instagram.com/p/BdnNRkDgbt-/

家族で愉快な冬休みでした☃️👢♨️ #智積院 #真言宗智山派 #空海 #弘法大師 #千利休 #豊臣秀吉 #安土桃山時代 #kyoto #京都 #sousou #chishakuin #history

 

 

最終日は、もうぼろぼろになってしまった大好きだったIBIZAのバッグが、取っ手の部分の革がもうちぎれそうなほど使ってしまったので、

新しいバッグを買ってくれるということで高島屋へ向かった。

IBIZAのバッグは、頂き物だったのだが、大変思いで深く、なんと高校生のころから6年ほど愛用した。

いっつもIBIZAのバッグを背負ってたので、

とっても愛着があって、お別れせねばならないのは悲しかったが、

さすがに革ものだし、修理も高くつきそうなので、ということで新しいバッグを買った。

 

気に入るものを見つけるまで2日ほど考え倒して、

やっと決めたバッグを購入し、メンバーズカードに名前を記入していると店員のお姉さまがハっ!と息を飲んだので、また私が書き損じでもしたのかと思ったら、

「私も同じ名前で、同じ漢字で同じ読み方です!」と伝えてくださった。

明子と書いてめいこと読むのは珍しく、わたしもこの漢字でめいこさんと読む方にお会いしたのは生涯で2人目だったので、かなり感激した。

偵察に2日を要したので、何度も店を訪ねており、店員さんのシフトの入れ替えがとても流動的なのを見ていたので、

購入を決めてたまたま担当してくださったかたが同じ名前だなんて、すごい偶然もあるものだなあ、と感激。

 

父と母は車で山梨へと帰って行った。

いい冬休みだったな〜

いろいろ楽しい思いをたくさんさせてもらって、家族に感謝せねば。

いい休暇でした。ありがとう。

レジュメ発表と回想

レジュメ発表は終わった。

今回は時間がなかったので細見先生の「フランクフルト学派」にした。

いつも大著を選ぶわりに、時間計画がまともにたてられないがためにぐだぐだになる。

今回のミスは完全に啓蒙の弁証法をまだきちんと読み切れなかったこと。

解説書、つまり二次文献から入ることで啓蒙の弁証法を読めるようになりたいなあと思っていたのだが、甘くて、先生にいろいろ啓蒙の弁証法について問われた。幸い、先生は昔の記憶をひっぱりだしてきてくださってかなり正確な解説をしてくださりありがたかった。これから、時間はかかるだろうけど啓蒙の弁証法は必ず読了しようと思う。

 

フランクフルト学派をやりたいなら弁証法的想像力を読んで見なさい、と言われた。

一度目を通してみようと思う。 

弁証法的想像力―フランクフルト学派と社会研究所の歴史1923‐1950

弁証法的想像力―フランクフルト学派と社会研究所の歴史1923‐1950

 

 

 

いつもレジュメ発表の前になると不安神経症のようになって

そわそわして強迫的になるのだが、

今回は割と自覚的だったのでまだ落ち着いていたかな?と思う。

 

昨日はレジュメをつくりおわって、彼氏のいえにいくと彼氏が貸してくれた本が熊倉伸宏先生の「死の欲動 臨床人間学ノート」という本で、そこに紹介されている臨床例が、あまりに生き生きと自分のなかで生きてきて、

過去のいろんなことを思い出して、今まで自分を罰してきた自罰的でもあり他罰的でもあり、裁判官である自我がくずれ、その裁判官に苦しめられていた自分に気付いて、嗚咽がとまらず、こみあげるように、子どものように大泣きした。

 

そして、

小4のときに、飼っていた愛犬が、

子犬のときに事故死したこと、

その死の当日になぜか滅多に行かない散歩にいったこと、

子犬の屍体を抱えて帰ってきた父が泣いていたこと、

愛犬の屍体を動物病院に連れていくときのこと、

 

愛犬を突然失った悲しみから学校で泣いてしまったこと、

わたしがつくった工作がだれかの手によってぐちゃぐちゃにされていたこと、

運動会のときに父がどこかへいってしまったこと

などが走馬灯のようにこみ上げ思い起こされた。

 

わたしにとって小4で、事故死で、愛犬を失ったことは大きかった。

忘れようとずっとしてきて、

その後いぬを飼っても絶対に悲しい思いをしたくなかったので

愛着を寄せなかった。かわいがることができなくなっていた。

蓋をしていた自分の悲しい気持ちがこみあげて涙がでた。

抑圧しなければ、放し飼いにした父をせめてしまうからだったからかもしれない。

父と母をよく思いたい、と思わない子どもはいないだろう。

 

私はずっと、弱い父と母を守らねばならないと思っていた。

学校の友だちからの評価からも、父と母を守らねばならないと思っていた。

わたしがついていなかったら、父と母が不安だと思っていた。

私がどうにかしなきゃ、二人を守らなきゃと思っていた。

 

子どもながらに全部みていて、全部知っていた。

 

大人は怖かったけど、わたしは父と母の化身だと思っていたので、

わたしは幼少期自分を「大人」だと認識していた

そうでなかったと気付くのは、

不登校を経て、

家族がやっとまとまりだして、

親との時間を取り戻すように、一緒にいたことかもしれない。

不登校になって、親からきちんと本当に愛されているのか、私は、ためしたかったのかもしれない。

 

事実、不登校になった私を両親は受け入れ、学び、

とっても柔軟な考え方になって、まさに人格まで変わったようになった。

強いチームワークで結ばれた家族。

そのサポートがあって、ここまでこれた。

 

18歳になって高校を卒業して大学に入学し

一人暮らしをするようになってからは、

なかなか両親に会える頻度が減って、

わたしも自分の生活でいっぱいいっぱいになった。

 

一人暮らしだと常に神経を張りつめた状態で、神経を休ませる場所がなく、

それまで家庭という居場所で話を聞いてもらっていたことがこれほど私にとって支えになっていたのだ、ということに気付いた。

 

一時期は追い込みすぎて、引きこもりがちにもなり、妄想性の強い症状が出たこともあったし、現にSNRIとZiazepamは現在も服用中であるが、

経過は良好である。

 

一時期は演技性の自傷行為までしてたなんて今では考えられない。

会話心迫もあったし、加害性も強く目立った。

 

3年生の1年間が一番大変だったときに比べると、

いまは前よりは人の話に耳を傾けられるし、

常識的に振る舞えるように成った部分もあるかと思う。

たまに神経質すぎたり、強迫的だったり、引きこもったり、不安障がいや被害妄想がでたりするけど、

以前に比べたら全然、よくなっていると思う。

 

そんなわけで自分、お疲れ。

今日はちょっとはリラックスしてね。

 

↓素晴らしい本なのに絶版なのか、Amazonでは現在なんと1万円代。

古書店で巡り会えないかな〜

神保町行きたい。

 

死の欲動―臨床人間学ノート

死の欲動―臨床人間学ノート

 

 

 

 

フランクフルト学派 / 細見和之

大学2年のときに大学院生向けの、アドルノの「否定弁証法」の読書会に参加させていただいていたので、

フランクフルト学派の晦渋さは重々承知しておったはずなのだが、

入門書、新書でさえこんなに難しいとは、、、、。

というわけで小休止。

かなりわかりやすく端的に解説してくださっているとはいえ、

もともとの内容が難解なため、

いくら細見先生でもこれ以上できなかったんだろうな...

すごい大切な本なのはわかるけどついていくのに必死で息切れしてる...

けど必死にくらいついて..がんばる......

 

 

 

 

「私」という現象

この新自由主義イデオロギーの蔓延した

社会においては

「人間」は「人材」と化して

どれだけ商品として価値があるのかを市場から判断される

人材という名の「商品」となる。

商品においては、自己決定、自己責任、コストパフォーマンス、能率、能力が最大に重要なのであり、

そうした「能力」が買われて商品としての価値を措定される。

「人間」/と、「人材」の差異は、埋めることのできない大きな質的な違いがある。

「人間」の考え方は、社会と、他者と非分離な、自己決定ですべてを決めることのできない、縁のような、分離不可能につながっている、目先の利益が100年先の利益にはなりえないというような、そんな、わかりにくさ、時間の流れの遅さ、停滞、遅延が生じている。

現代は、遅延が奪われている。

速度が求められ、「今ここ」や、目先の気持ちよさしか、認められない。

即戦力として使い捨てされる人材。

「人間」という、社会における現象とも捉えられる、この不合理で、自律的で、独自の構造を持った「存在」が、「実存」が、

「お金」という交換可能な価値に変換させられる不思議。

しかし、「人間」も「お金」もしょせんは現象に過ぎず、幻想に過ぎない。

その意味では、人間もお金も同じなのかもしれない。

客観的に見て「唯一無二の人間」なんて存在しないように

お金は交換可能であり、唯一無二ではない。

お金も人間も基本的には、社会で生まれた現象なのだ。

オンリーワンなんかでは全然ない。

すべては現象に過ぎず、人間という、自己というものも、実体は持たず、社会が、家族が、人間の集合体が生み出した現象物にすぎない。

何かを操ろうとか、支配しようとか、責任をとろうとか。

そんなこと、もともと実体もなく、根拠もない人間存在には無理である。不可能である。

しかしそれを可能だと思わせしめる、「非分離」の思想。

「責任」など、とれるわけがないのだ。

同じことなど、二度と起こらないし、補償など不可能だ。起きた時にすべては起きているのであり、すべては、非分離に、結びついているのであり、現象としての代替えですら、不可能なのである。

 

人間存在が社会が、人類が生み出した現象ならば、一体どこに実体などあろうというのか。

 

そこから、安易な虚無主義ニヒリズムに陥ってしまうのではなく、

現象を見つめきりたい。

それが今のわたしの、野望だ。

あたたかいひとたち

昨日、

自転車のカゴにいれた本を詰め込みすぎたバックから、

段差の拍子に本がバッグから飛び出して、

雨の鋪道に投げ出された。

すると、同い年か少し年下くらいの男性が

迷い無くすぐさま

拾ってくれた。

雨に濡れて汚い本なのに、迷い無く拾ってくれて、

本当にありがたかった。嬉しかった。

 

今日、いつものように図書館に入ろうとすると

外から見知らぬ声のおばさまから「お姉さん、お姉さん!」と

執拗に声をかけられてびっくりしてほとんど開けていたドアをもう一度閉め入り口にいたおばさまを振り向くと、

「スカートめくれてますよ。」

と注意してくださった。

タイツだったから特に問題ないのだけど、本当にありがたかった。

 

あたたかい人たちに助けられ、支えられる日々。

ありがとうございます。

見ず知らず、名前も知らないひとびとだけど、

何かでつながっていることを感じるのだった。